関東大震災から100年という節目に映画「福田村事件」を公開する森達也監督を始めて知りました。
先日、撮りためていた数あるTV番組の中から偶然に、NHKのクローズアップ現代をチョイスしたところ
震災後に起こった或る小さな事件を知ることになりました。余りに凄惨な事件であったためなのか事件は後世に語り継がれる事が少なかったようです。まず第一に感じたことは、森監督の強い意志です。
非常にネガティブな問題をあえて掘り返す勇気とも言い換えられます。普段、私は世間で流れる悪いニュースは出来るだけ聞き流すことにしています。それがネガティブな情報から自分を守る手段です。
嫌なニュースを観ることより大リーグで活躍する大谷翔平の勇姿を観ていた方が有益なのは明白です。
けれども、今回は少し立ち止まって考えてみたい気持ちになりました。
森達也監督があえてネガティブな「福田村事件」を通して訴える本質を皆で考えてみませんか。
関東大震災直後の混乱
100年前の関東大震災の犠牲者は10万5千人でその内の9割が焼死であったといいます。
現在の住宅事情や防災知識を考慮すればとても考えられない状況だったと思います。
当時は、メディアとしては新聞しかなかったといいます。ラジオすら無かったのです。
それ故、被災者は今何が起こっているのかすら解っていなかったのではと想像できます。
当然、新聞社は壊滅状態で情報は人々の口コミだけが頼りとなりました。
そんな混乱の中で、朝鮮人が放火したとか井戸に毒を入れたとかのデマが流されました。
皆さんちょっと想像してみて下さい。
何故か家の周りが火の海になり次々に人々が焼け死んで行く様を眺めている状況を・・・
何が起こっているのだろう?誰がこんな酷いことをしたの?
只、無我夢中で火の海から逃げ続けるしかない
そうして、火事も収まり何とか生き延びることが出来た人々の間にデマが広まるのです
100年前は、ラジオすら無かったのです。
今のようにSNSなど普及しているはずもなく口コミだけを信じて人々は行動したのでしょう。
現代といえども大規模震災が起これば停電でスマホも使えない状態になって100年前と同じに
改めて平時に防災対策をするべきだと私達は思わされるのです。
群れの中で多数派が少数派を標的にする怖さ
森達也監督は「不安や恐怖を感じたとき群れは同質を求め、異質のものを標的にし排除する」としています。結果として、戦争や虐殺が始まると言っています。
映像化された「福田村事件」を御覧になることで集団心理の恐ろしさを知ることになると思います。
震災後には、社会主義者に対しても同様に排除的行動が行われています。
同年に起きた「甘粕事件」では憲兵大尉の甘粕正彦により無政府主義者の大杉栄と内縁の妻伊藤野枝夫妻らが殺害されています。
この事件も根底には、少数派の排除という考え方ができそうです。
尚、伊藤野枝さんに関しては故人の瀬戸内(晴美)寂聴さんが小説「美は乱調にあり」の中で取材を通して全く別な視点で書いていらっしゃいます。
大正時代において彼女の自由奔放な恋愛意識を良しとしない国の権力者は少なくなかったのでしょう。
紛れもなく、彼女の存在は少数派でありました。
森達也監督のキャスティングについて
森達也監督があえて今回の「福田村事件」に東出昌大さんをキャスティングされているのに注目です。
彼も、御存知の通り実力派の俳優さんではありますが不倫報道により所謂少数派になってしまった人。
最近地上波ではお見かけしませんが、以前はメジャーな俳優さんで引く手あまたであったと思います。
現在は、狩猟生活を行い質素に生活をされ、同時に俳優さんも続けられているそうです。
不倫って罪には問われませんよね。勿論、不倫をされた方の気持ちを考えると苦しくなりますが。
私も、同様な苦い経験が過去にあるので痛みはわかるつもりです。
それでも私は、罪のない人に暴力を振るうのを見聞きする方が100倍胸が苦しくなります。
善良で不倫とは無縁の人々による暴力と愛があるが故の愚行(不貞)の対比に私は戸惑います。
世間からはじかれ少数派となった東出さんの好演が見所です。
ジャニーズ事務所問題
森達也監督の主張する「多数派が少数派を排除する怖さ」という問題を考えているうちに何か最近似たような問題が起きていたなあと思い出しました。ジャニーズ事務所問題もそうなのかなあと。
先日、亡くなられたジャニー喜多川さんの性加害問題が明らかになり謝罪会見が開かれました。
性被害者が少数派で、事務所やテレビ局や大手新聞社などのマスコミが多数派に当たるのでしょうか。
マスコミも会社関係者も以前から事実を知りながら、見て見ぬ振りをしていました。
正に、多数派が少数派を見殺しにしようとしていたのでしょう。
しかしながら、こうしたことは私たちの日常に沢山存在しながら非常に気づきにくいと思います。
会社に勤めていても、上司にゴマを摺って特定の人物を陥れたり
学校でもいじめを見て見ぬ振りをしたりと
実際、ジャニーズ問題にしても何十年と続いていて誰も間違っていると指摘しなかったわけですから。
人間はいけないことと思っても進んで少数派になることには躊躇いがありますよね。
だから結局群れてしまうのでしょう。みんな小心者ですから仕方ないですよね。
きっと人間はそういうものだと理解することが改善の第一歩なのでしょう。
そして私達は小さな勇気を出し合って、正しいことに拘らなければならないのでしょう。
森達也監督が映画「福田村事件」で私達に訴えたかったことは
私達ひとりひとりが「もし事件の加害者になってしまったら」ということを想像して
考えるべきであると・・・そんな風に私は改めて思うのです。
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